SF映画

映画【アフター・ヤン】おつまみ【長葱の天ぷら】

画像引用:ⓒ2021 Future Autumn LLC. All rights reserved.

この映画はこんな人におススメ!!

●A.I技術に興味がある人

●近未来の生活スタイルを想像したい人

●大切な人との記憶を思い出したい人

●人間とは何かを改めて考えたい人

タイトルアフター・ヤン
製作国アメリカ
公開日2022年10月21日(日本公開)
上映時間96分
監督コゴナダ
出演コリン・ファレル、ジョディ・ターナー=スミス、
ジャスティン・H・ミン、マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ
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人間とは何かと考えたい時に観る映画

今作は所謂SF映画とは少し毛色の違う作品かも知れませんが、

すぐそこにある近未来にあり得る様な情景を想像させてくれます。

全く人間と見分けが付かない高性能人工知能を搭載したロボット。

ある家族に子守り用ロボットとして購入された「ヤン」と名付けられたA.Iが、

記憶媒体に保存していた膨大な映像の断片。

その一つ一つに「家族」の歴史があり、

過ぎ去った時間の温もりが閉じ込められています。

人間の役に立つ為にプログラミングされた「ヤン」が、

家族を慈しみ、人間を理解しようとしていた痕跡。

「ヤン」が故障で動かなくなってしまった時、

その映像の断片が我々に「人生」の意味を問い掛けてきます。

限りある命の中で、老いと死の運命を抱えて生きる「人間」の存在の意味を、

すぐ傍で見守り理解しようとしていた「ヤン」。

やがて訪れる「死」は「無」なのか?

なぜ人間は「死」に向かって生きていくのか?

そしてそもそも人間とは何なのか?

静謐な映像と豊かな音楽に誘われ、

かつてない深遠なる思考の旅に出る映画体験が、

きっとあなたを待っています。

多様性の未来

画像引用:ⓒ2021 Future Autumn LLC. All rights reserved.

今作品の特異な設定の一つに家族構成があります。

主人公の家族構成は白人男性の夫と黒人女性の妻。

中国系の養女と中国文化を伝える為に開発されたA.Iロボット。

彼等は洗練されたデザインの住居で不足無い暮らしをしている様に見えますが、

それぞれの心には当然「孤独」が存在しており互いの間には「溝」があります。

映画冒頭に象徴的なダンスコンテストのシーンがありますが、

様々なポージングをシンクロさせてオンラインで競い合うゲーム競技は、

「家族」の融和性の歪な表現としての側面も見えたりします。

平穏の暮らしの水面下にある「溝」。

それを宿命的なものとして享受した共同体としての姿が、

一種異様な雰囲気にも受け取れるのです。

多様性が進めばその人生観や生活スタイルも当然多様化していきます。

全く新しい価値観の元に、私達の社会と地続きの未来には更に複雑な人間関係が

構築されている事は想像に難くありません。

そうした社会の中で、「家族」である事の価値観は一体どうなっていくのでしょうか?

この映画はそんな近い未来に訪れるであろう事にも問題提起を促しています。

懸命に「家族」であろうとする共同体のジレンマは、

非人間である所の「ヤン」という存在によって首の皮一枚で保たれていたとも見える。

人間らしくある事の、本来的な目的を改めて考えさせられる様なハッとする設定です。

多様であることと自由である事は果たして同義なのか?

韓国出身のコゴナダ監督にとって、

今作品のテーマの一つにアメリカ社会の断絶があったとしても不思議では無いでしょう。

多様性とは「認める」だけで終わるわけでは無いのだという事。

そんな当たり前の事が近未来の「家族」の姿から透けて見えてくる様です。

万能おつまみ

今日のおつまみは【長葱の天ぷら】です。

毎日のおつまみメニューに頭を悩ませる妻ですが、

困った時は冷蔵庫にある野菜をカラッと天ぷらにすれば、

もう大満足のおつまみになります。

薄い衣でカラッと揚げるのがコツ。

長葱は熱を通すと甘くて旨いですよね。

ビールにも最適の簡単おつまみです。

A.Iは自死するのか?

画像引用:ⓒ2021 Future Autumn LLC. All rights reserved.

映画の冒頭、高性能A.Iの「ヤン」は動きを止めてしまいます。

家族の長であるジェイクは当然修理に奔走するのですが、

それは考えていたよりも困難な事でした。

ここで我々は思い立ちます。

「ヤンは自らその機能を停止してしまったのではないだろうか?」と。

過去に身近な人間の喪失を経験していた「ヤン」は、

自らにプログラミングされたデータの宇宙的解析の果てに、

人間とは何か?という問いに答えを得て自死を選んでしまったのではないか?

人間を助ける為に存在する自分自身の傍で、

限りある命を持つ人間は死んでいってしまう。

その中で自らの存在価値を考えた「ヤン」は膨大な記憶データを胸に抱えたまま

「無」の境地へと旅立ってしまうのです。

その昔アメリカの作家マーク・トゥエインは著書「人間とは何か」の中で書いています。

人間とは環境に支配された自由意志を持たない機械であると。

これはこの作家特有のペシミズムに彩られた警句とも取れる作品ですが、

この【アフター・ヤン】という作品でも我々の心に深く響くのは、

人間の抱える圧倒的な「孤独」。

しかしそれは劇中でも語られる通り、「毛虫にとっては終わりでも、

蝶にとっては始まり」であるようなもの。

「死」があるからこそ「生」があり、

終わりがあるからこそ人間の「生」には意味があるのだという事なのでは無いでしょうか。

人間とは何かと考えたい時に観る映画。

この作品には監督のコゴナダの敬愛する小津安二郎監督へのオマージュや、

坂本龍一のテーマソング、小林武史が映画【リリ・シュシュのすべて】の為に書き下ろした

楽曲「グライド」の起用など日本文化の影響が色濃く反映しています。

静謐な語り口、特に「ヤン」の記録データの映像が映し出されるシーンの

ノスタルジーは観る者の個人的な記憶を刺激して様々な思索を促してくれます。

映画としての完成度の高さ、表現の先鋭性、

テーマの普遍性の全てが圧倒的な没入感を持って迫ってきます。

噛む程に味わい深い映画とはまさに今作の事を言うのではないでしょうか。

とにかく人に勧めたくなる映画だと思います。